親の介護と新規農業の苦労体験

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お袋から連絡が

昨年の3月に母親から携帯がなった、何かと思えば今父親と施設にいるのだが、父親が実家(我が家)に帰りたいと言ってダメだとの事だった。

約7年前に実家を出て、兄が新しく建てた家に引っ越したのだが、色々と事情があり施設に入っている様でした。

その兄家族の事情も仕方ない事なので、その事情が解決するまで我が家で同居することにしました。

これが間違いの始まりだった

私は昨年3月で定年退職を迎え、7月まで再雇用で働き、その後は専業農家として新規就農する予定でいした。

ところが、両親が来たことにより大幅に予定が変わってしまいました。

その一番の原因が”親父の痴呆症”です。

思ったより痴呆症が進んでおり、その介護で会社にも行けなくなり、また農作業も出来なくなってしまいました。

母親は介護をする気が無いし、妻も初めは親の相手をしていたが、痴呆症が酷いので「あなたの親でしょう」と言って介護を放棄してしまいました。

その為家の中はガタガタになってしまい、三男は小学校へ行かないようになってしまいました。

そんな中、色々と親との軋轢が出来しまいには母親が親父の介護を放棄し妹の家に行ってしまいました。

これには参った、本当に私が何も出来ない状態になってしまいました。

母親が出ていく前に母親と妹で父親を病院へ連れて行き、何も変わらないと話を聞いていたが、母親が居なくなってから調べたら介護のランクも上がっており手が付けられない状況になっていました。

病院へ行った際に、その場で入院の手続きをすれば問題は少なくて済んだのだが、悪くなった父親を置いて母親は妹のところに逃げて行ってしまい、残された親父と我が家庭はてんてこ舞いになってしまいました。

親父の入院

色々とゴタゴタがあり、最終的には親父は精神科の病院へ入院しました。

余りにゴタゴタと思うことがあるので詳細は書かないことにするが、何を思ったか親父は自分で病院へ行きました。

ただし、その前に兄貴の仕事場に行き「〇〇に殺される」と言っていたのが残念でした。家に来てから約5か月食べたいものを食べさせたり、やりたい事をさせたりといろいろ気を使ってきたのだが・・・・

結局の家計がボロボロ状態に

昨年から専業農家を曲がりなりにも始めたのだが、親が来たことで農作業が出来ずに予定より300万円ほど売り上げがマイナスになってしまった。

ミニトマト

まずはミニトマトですが、7月からの高温時期にトマトトーン処理をして着果するようにするのですが、トマトトーン処理が出来ず結局8、9月にほとんど収穫が出来ない状態になりました。

親父が居なくなった8月中旬から何とかトマトトーン処理が出来るようになり、10月から収穫が出来るようになったのですが、収量は予定の半分くらいしか収穫できずに終わりました。

ぶどう

ぶどうは出荷を始めて初めの頃は順調だったのですが、入り口からどんどん圃場の奥に行くに従い、品質が悪くなり半分は最下位の品質でした。

入り口から途中までは私が芽欠きやら芯止めを行っていたのですが、途中から親父の介護で手が回らなくなったので妻が一人でしてました。

元々いい加減な作業しかできない妻なので、途中からまともにしておらず結局まともなぶどうが出来ずに終わりました。

何をさせてもいい加減で、2年前にはトマトトーン処理をしてもらったのですが、教えた通りに作業をせずに木全体にトマトトーン噴霧し、生長点が全部奇形になり収量が落ちたこともあります。

また、昨年はぶどうのビニールハウスのマイカー線を結んでもらったのですが、これも教えた通りにしないで、風が吹いた時に緩んで煽られてしまい、結局私が結び直す事になりました。

という事で、昨年はボロボロな一年になってしまいました。

妻も頼りに出来ないので、一人で悪戦苦闘していますが、ストレスなのか痛風になったり関節リウマチになったりで、思ったように動けません。

今年は何とか頑張ろうと思ってはいるのですが。

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